初めてフルマラソンに出場したのが1995年のいびがわマラソン。
制限時間5時間の大会で、30km過ぎの関門で時間切れとなりました。
制限時間8時間の大会で、5時間26分で完走しました。
今はマラソンの制限時間は7時間が主流ですが、当時はほとんどの大会の制限時間が4時間から5時間でした。
初フル完走後、次々とマラソン大会に出場しましたが、制限時間の壁に阻まれて完走できないことが続きました。
完走できたのは、制限8時間の指宿菜の花マラソン、制限時間がない木津川マラソン、浜島リゾートマラソンで、いずれも5時間を大きく超えての完走でした。
5回連続で途中リタイアが続いた後、1997年3月に和歌山県で行われた紀の国美山マラソンに出場しました。
山間部を走るアップダウンの非常に激しいコースで、完走出来る気は全くしませんでしたが、小さな村の小規模な大会で、楽しそうだったので参加しました。
序盤から激坂を上る過酷なコースですが、景色は最高で、今まで走ったフルマラソンの中で私が一番好きなコースです。
2年余り前のハーフマラソンで痛めた膝はまだまだ痛んでいましたが、少しずつ良くなる兆しも見え始めていました。
42キロをずっと走り続ける走力はなく、中間点まで頑張って走って貯金を作り、後半は歩いたり走ったりしながらなんとか関門をクリアして行きました。
そしてなんと、全ての関門を制限時間内にクリアし、ゴールに向かいました。
ゴールタイムは4時間54分。
自分でもびっくりの制限時間内完走、初めての5時間切りでした。
長い距離を走ると内臓のダメージが大きく、この当時はフルマラソンを走ると毎回、 後半は嘔吐して水も飲めない状態になっていました。
それでも、なんどもマラソンを走るうち、少しずつ走れる距離が伸びていき、水も飲めないような状態になりながらも完走できるようになりました。
毎回苦しんでいると、自分にはマラソンを5時間以内で走ることは無理なようにも感じるのですが、それでもあきらめずにチャレンジを続けた結果、達成することができました。
できるとか、できないとか、そんなことは考えず、ただひたすら挑戦を続けていけばチャンスはあります。